麒麟がくる(3)「美濃の国」の史実とフィクション

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『麒麟がくる』の3回目放送「美濃の国」では、斎藤高政(のちの義龍)と明智十兵衛光秀の友情シーンが描かれた。これは恐らくはフィクションという枠に入るのだと思う。まず史実で、高政と十兵衛が共に学び育ったという記録は残されてはいない。そして後々の出来事を考えると、その後々の出来事のドラマを盛り上げるために、今高政と十兵衛を親友のように描いているのかもしれない、と筆者は感じた。

双六はモノポリーではなくバックギャモン?

さて、劇中では双六(すごろく)がよく登場する。医師の望月東庵は近所に住む少女と双六を楽しむのが好きだし、十兵衛は子どもの頃、帰蝶に双六で51戦51敗したという。この双六だが、現代では人生ゲームやモノポリーのようなものを想像するわけだが、戦国時代の双六はそのような形態ではなく、バックギャモンを双六と呼んでいた。

元々は中国に伝わる陣地取りゲームが日本に伝わり、同様にヨーロッパに伝わるとバックギャモンと呼ばれるようになったらしい。なので『麒麟がくる』の劇中で双六の話になったら、それはバックギャモンのことだと思っておくと良いかもしれない。

戦国時代は婚姻と離縁が繰り返されていた

さて、第2回放送では帰蝶の夫である土岐頼純が斎藤利政(のちの道三)によって毒殺された。帰蝶は織田信長の正室として後に濃姫(美濃の姫)と呼ばれ有名になっていくわけだが、どうやら信長に嫁ぐ前は土岐頼純に嫁いでいたと思われているらしい。それを示す決定的な資料が残されているわけではないようなのだが、断片的な資料を繋げていくと、「どうやら帰蝶は土岐頼純に嫁いでいたようだ」というのが史家の見解であるらしい。

ちなみに戦国時代は、婚姻と離縁(離婚)は度々繰り返されることがあった。武家にとっては離縁は決して珍しいことではなく、比較的簡単に行われていた。例えば戦国時代は家臣に力を持たせないように時々国替えと言って、治める土地を変更させられることがあったのだが、国替えが行われると離縁して妻は連れて行かず、国替えした土地でまた新たに妻を娶るということが普通に行われていた。

そして戦国時代の婚姻は単純に政略として利用されることがほとんどで、帰蝶の場合ももちろんそうだった。斎藤利政は土岐家に近付くために娘を頼純に嫁がせた。そして頼純には利用価値がないと見るや否や毒殺し、後年今度は帰蝶を尾張の織田信長に嫁がせている。ちなみにこのように婚姻と離縁が繰り返されていたため、キリスト教のパードレ(宣教師)たちは布教に苦心したようだ。なぜならカトリック法では離婚が禁止されているからだ。

光秀と高政の友情の行方

ネタバレになってしまうため、ここではまだ先々の史実に関しては書けないわけだが、明智十兵衛光秀と斎藤高政の友情は果たしてどのように描かれていくのだろうか。筆者個人の感想としては、光秀と高政が親友のような関係で描かれていることにはかなり意表を突かれた。斎藤利政は幼少期の光秀のことを知っているため(それを示す資料が残されている)、確かに利政の子である高政と光秀が幼馴染だった可能性はある。だがまさかこのように描かれるとは思わなかった。

果たして長良川の戦い以降、この友情がどのように描かれていくのだろうか。ここから史実通りに描いていくのか、それとも更なる驚きの描かれ方がなされていくのか。恐らくは桜が咲く頃にはその辺りのことが劇中に描かれていくのだと思うが、今からそれがどう描かれていくのか、筆者は大いに待ち遠しく思っているのである。

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