上杉謙信,女性説


上杉謙信は女だった!この説はどこまで真実なのか?

分類 上杉家
この巻の主な内容


uesugi.gif上杉謙信は女性だったという説が実しやかに語られているが、某には謙信公が女性だったとは考えられない。謙信公を女性だとする説は、文献に毎月腹痛に悩んでいたということが記されており、これを月経だったと考えたり、死因として記されている大虫は女性の生理を意味すると説明している。

だが腹痛に悩んでいたのは上杉謙信だけではない。羽柴秀吉もよく腹を下していたことで有名だ。また、一部文献で書かれる大虫という死因だが、生理痛や更年期障害で命を落とすというのも考えにくい。ちなみに中国語で大虫は獣、主に老虎を意味する。

死因を大虫と書いた松平忠明は、もしかしたら上杉謙信の別名であった景虎、もしくは幼名虎千代にかけて、中国語の老虎を意味する大虫という言葉を「虎も老いて亡くなった」と洒落で使ったのではないだろうか。そんな考え方も、こじつけではあるができなくもない。

そもそも上杉謙信には3人の兄がいる。もし上杉家に男の子が生まれていなければ、世継ぎ不在を回避するため女の子を男の子として育てることも考えられたかもしれない。だが兄が3人もおり、姉もいるためあえて女の子を男の子として育てる必要はないと考えるのが普通だ。そのため幼名も虎千代と男の子の名前が付けられている。

戦国時代には確かに男勝りな女城主たちが存在していた。だがそれは決して一般的なことではなく、あくまでも非常手段でしかない。根本的に考えれば当時の時代背景に於いて、歴戦の武将たちが女性の下につくことを良しとするはずがない。そしていくら隠そうとも、女性の男装が何十年にも渡りバレないということも考えにくい。本当に生理になっていたとすれば、当時であれば着衣が生理によって汚れもしただろう。

上杉謙信は女性だった。と言うことは夢があってもとても面白いと思う。だがそれはあくまでも小説の世界の話だ。生涯独身を貫いたことも女性説を唱える要因になっているが、逆に上洛した際には遊郭に通ったという逸話も残っているし、男色が今ほど異色扱いされていなかった戦国時代であれば、同性愛者だった可能性だってあるだろう。このように可能性をたどっていけば切りがなく、女性説を裏付ける根拠も何一つ残されていない。

イスパニア(スペイン)の文献に「謙信は景勝(謙信の養子)の叔母」と記されているものがあるようだが、これに関しても根拠としては内容が非常に乏しく、日本語がよくわからないイスパニア人が勘違いした可能性だって高いだろう。そもそも謙信が女性であったならば景勝の叔母ではなく、景勝の母になる。この点からして勘違いしているため、イスパニアのこの文献を謙信女性説の根拠にすることはできない。

さらに肖像画のヒゲの描かれ方が戦国武将らしくなく、女性に取って付けたような無精髭であるという考えられ方もされているが、しかし戦国時代に描かれた謙信公の肖像画は現存していない。つまり現在残されている肖像画はすべて、謙信公の顔を見たことがない肖像画家が描いたものなのだ。そのためどれだけ謙信公が忠実に描かれているのかは未知数だと言える。

このような観点から、上杉謙信は女性だったという説は、まだファンタジーの域を出ないと某は考えているのである。だが今後もっと歴史調査が進んでいけば、もしかしたら謙信公が女性だったという確たる証拠が出てくるかもしれない。それまでは夢やファンタジーとして謙信公女性説を楽しみたいと思う。


平成29年02月07日 公開

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