明智光秀の家臣たち


明智光秀の血縁者および名が残されている臣下たち

分類 明智家
この巻の主な内容

  • 小土豪で古参の臣下が非常に少なかった明智光秀
  • 娘を嫁がせることによって血縁家臣を増やしていった
  • 煕子が黒髪を売って光秀を支えたと言うのは本当か?!


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明智光秀という人物は、実は羽柴秀吉と大差のない状況から立身出世した人物だった。羽柴秀吉は農民から出世街道に乗って行ったため、家臣は0というところから武士人生をスタートさせている。もちろん明智光秀の場合は農民ではなく小土豪だったわけだが、武士としての親族はいたものの、家臣と呼べるほどの家臣の存在は秀吉同様にほとんど0に近いところからの始まりだった。そこで今回は、明智光秀の身近に存在していた人物たちを備忘録的に記録しておきたい。

血縁者

明智光隆
光秀の父親。別名・明智光綱、明智玄蕃頭(げんばのかみ)
天文11〜14年(1542〜1545年)に土岐一族が斎藤道三の下剋上に遭った際に戦死。

明智光安
光隆の弟で、光秀にとっては叔父。光隆死去後は、光安が光秀の後見人を務めた。妹が斎藤道三の継室(小見の方・おみのかた)だったこともあり、斎藤義龍が父道三を討った戦で道三側に与し、稲葉一鉄らと戦い戦死している。

小見の方
光隆・光安の妹で、光秀にとっては叔母。小見の方と斎藤道三の間に生まれた帰蝶(濃姫)は織田信長の正室となっている。つまり織田信長は光秀にとっては義理の従兄弟だった。

煕子
光秀の正室。妻木範煕の娘。光秀がまだ立身出世を果たす前、煕子が黒髪を売って光秀を財政的に支えたと言う逸話が残されているが、これは後世の創作である可能性が高い。実際には妻木範煕が光秀を経済的に支えていた。

明智光忠
光秀の父・光隆の弟である明智光久の子。光秀にとっては血の繋がった従兄弟。光忠は、光秀が最も信頼した家臣の一人で、光秀の娘を娶っている。

明智光久
光隆の弟で、光秀にとっては叔父。光忠の父。斎藤道三に与したことで明智城を斎藤義龍に攻められた際、自らは最後の最後まで籠城して戦い、光秀たちを脱出させた。しかし光久自身はその戦いの最中に戦死。

明智光慶
明智光秀の嫡男。本能寺の変後については諸説あり定かではない。坂本城で討ち死にしたという説や、僧として生き続けたという説がある。

細川ガラシャ
洗礼を受ける前は玉、もしくは珠。明智光秀の娘であり、光秀の盟友細川藤孝の嫡男忠興に嫁いだ。関ヶ原の戦い直前、石田三成の人質となった際にそれを嫌い命を絶った。

光秀の次男(名前不詳)
名前は明らかにはなっていないが、筒井順慶の養子になっていたらしい。

非血縁者

斎藤利三
明智光秀が最も信頼を寄せた家臣。斎藤道三の血縁者というわけではなく、美濃の守護代だった別の斎藤家の血筋。母親が光秀の叔母だったという説もある。利三の兄である石谷頼辰(いしがいよりとき)の義理の妹が長宗我部元親の正室だった。利三はかつて稲葉一鉄や織田信長の与力となっていたが、それぞれと何らかの衝突があり、最終的に光秀の臣下に加わった。最期は山崎の合戦後に明智半左衛門によって捕縛され、六条河原で処刑された。

明智秀満
別名は左馬之助光春。光秀の娘婿。元の名は三宅弥平次で、光秀の娘を娶った後、明智秀満と改名した。美濃の塗師の家に生まれた人物という説の信憑性が高いらしい。実はこの妻、元々は荒木村重の嫡男村次に嫁いでいたのだが、村重が信長に反旗を翻した際、村重が光秀の心中を慮り、光秀の元に返していた。その後秀満に嫁いだ。秀満は本能寺の変後の坂本城で自らの妻、そして煕子ら光秀の親族が捕縛され辱めを受けないように刺殺した後、自刃。

織田信澄
光秀の臣下だったわけではないが、光秀の娘が信長の命により信澄に嫁いでいた。織田信澄とは、織田信長の弟信行の子。信行は家督を争った際、信長に討たれている。光秀の娘を娶っており、居城も坂本城に近かったことがあり、本能寺の変の首謀者の一人として疑われ、織田信孝・丹羽長秀軍により釈明する間も無く討たれてしまう。

溝尾庄兵衛尉(しょうべえのじょう)
別名は三沢秀次との説あり。山崎の合戦後、負傷したことにより自刃を余儀なくされた光秀を介錯し、その後坂本城まで戻り自らも自刃。光秀が信長に仕える以前から光秀に仕えていた古参。

藤田伝五
藤田伝五も、光秀が信長に使える前から光秀に仕えていた。しかし山崎の合戦で負傷し、その翌日に自刃。

可児才蔵
美濃出身で「槍の才蔵」として知られた槍の名手。福島正則に与する以前、光秀の臣下になっていた時期があったらしい。

明智半左衛門
元の名は猪飼野秀貞(いかいのひでさだ)と言う近江出身者で、光秀の臣下になった際に明智半左衛門と名乗るようになったが、本能寺の変では光秀に与することなく、斎藤利三を捕縛し、羽柴秀吉に差し出している。

明智孫十郎
本能寺の変の際、織田信忠が立て籠もる二条城を攻めた際に戦死。

明智掃部(かもん)
詳細は不明だが『天王寺屋会記』に光秀の家臣としてその名が登場する。

明智千代丸
光秀が八上城を攻めた際、最後の最後まで波多野家に忠義を尽くし戦死した小畠国明の遺児。光秀は国明の忠義を称し、まだ幼かった国明の子に明智姓を与えた。



前ノ巻 まだ多くの謎が残されている明智光秀の出自
次ノ巻 明智光秀は長曾我部家を救うために本能寺の変を起こしたのか?!



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