明智光秀,長曾我部元親,織田信長,本能寺の変


光秀はなぜ信長を討たなければならなかったのか? 後篇

分類 山崎の戦い / 徳川家 / 明智家 / 本能寺の変 / 織田家 / 長曾我部家
この巻の主な内容


akechi.gif明智光秀の夢は、土岐の再興だ。そのためには長曾我部家の協力が不可欠となる。元親の正室が土岐氏の娘である以上、元親自身も土岐の縁戚ということになる。いずれは両家が協力し、土岐を再興させるつもりだった。だが信長はその長曾我部を滅ぼすつもりで征伐軍を四国に送ってしまったのだ。

もしここで長曾我部が滅亡してしまっては、光秀の土岐再興の夢も潰えてしまう。そもそも土岐の縁戚である長曾我部が攻められ、土岐明智である光秀が黙って見ていることなどできようはずもない。光秀は何とかしようと信長に取り入るわけだが、しかしまったく相手にしてもらえない。

通説では、信長が徳川家康の接待役である光秀のやり方が気に入らず、役を解任し足蹴にしたという話が有名だ。だがこのエピソードも明智憲三郎氏の歴史捜査によれば実際はそうではなく、光秀がしつこく長曾我部への恩赦を求めたため信長が激昂し足蹴にしたらしいのだ。つまり光秀はそれほどまでに土岐再興のためにも長曾我部を守りたかったのだ。

だが何をどうしても信長の長曾我部征伐軍を止めることはできなかった。あとはもう信長を討ってでも止めるしか術はない。そのタイミングで信長は本能寺にて家康を持て成すことになっていた。家康を待つ間、信長は僅かな護衛のみで本能寺で過ごしている。この時を狙い、光秀は信長を討ったのだった。すべては長曾我部を守り、土岐を再興させるために。

「敵は本能寺にあり!」
この言葉は光秀が突発的に口にしたものではない。幾重もの手回しをし、状況をしっかり整えた上で言い放った言葉なのだ。光秀はノイローゼでもうつ病でもなかった。夢実現のため、周到な準備をした上で謀反を企てたのだ。だが残念ながらその準備のいくつかが信長を討った後に上手く動くことがなく、謀反そのものは成功するも、信長を討った11日後に光秀も山崎の戦いで討たれてしまった。

光秀は決して信長への恨みを晴らすために謀反を起こしたわけでも、ノイローゼで錯乱した状態で本能寺に攻め込んだわけでも、天下を横取りするためにクーデターを起こしたわけでもなかった。純粋に土岐の再興と盟友である長曾我部元親を守るそのため、泣く泣く主信長を討ったのだ。

もしこの時光秀が信長を討たなければ、光秀は土岐縁戚である長曾我部を見捨てることになっていた。つまり信長を討とうと討つまいと、光秀はどちらにせよ自らの裏切りに苛まれたことになったのだ。土岐縁戚である長曾我部を守るならば信長を討つしかなく、主に従うならば長曾我部の滅亡を黙って見ているしかない。果たして誰がこの光秀の苦しい立場を責めることができよう。

明智光秀という人物は、決して主を討った極悪人ではないのだ。そして自らの野望のために主を討った謀反人でもない。確かに謀反を起こしはしたが、それは決して利己的な目的によるものではなかったのだ。

明智光秀という人物の真実を知るためにも、ぜひ『本能寺の変 431年目の真実 』をお手に取ってもらいたい。一般的な歴史書のような堅苦しく読みにく文章ではなく、まるで推理小説を読むような面白さとスピード感がある一冊となっている。某もこの本との出会いがなければ、この先もずっと織田信長や明智光秀を勘違いし続けていたかもしれない。



平成29年02月07日 公開

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